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<<   作成日時 : 2015/09/06 15:25   >>

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Yoshihito Hashimotoさんの写真
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Yoshihito Hashimoto
「戦後」「平和」希望失わない 
瀬戸内寂聴さんと山田洋次さん、
徳島市で対談
2015年9月4日朝日
 戦後日本人の生き方や社会のあり方を見つめ続けてきた、僧侶・作家の瀬戸内寂聴さん(93)と映画監督の山田洋次さん(83)。3日に徳島市内であった対談には多くのメッセージが込められていた。安全保障関連法案に異を唱える人が各地で集う中、「まだまだ言わないといけないことがある」と瀬戸内さん。「希望は失ってはいけない」と山田さんは訴えた。
 瀬戸内さんが北京で大学講師をしていた夫、長女と一家3人で中国から引き揚げたのは終戦の翌年だった。母と祖父は、防空壕(ごう)の中で焼け死んだという。
 「手紙も通じず、日本がどうなっているのか分からなかった。広島に何かが落ちたらしいということは何となく聞いていた。徳島は無事だろうと思っていたが、駅に着くと、一面焼け野原だった」
 父親の仕事の関係で満州(現中国東北部)にいた山田さんは終戦の年、大連の中学生だった。「広島に原爆が落とされたことはタブロイド判の新聞で知っていた。『新型爆弾』という言葉を目にしてただごとではないと思った」と振り返った。
 戦争体験は2人にずっしりのしかかる。「勝った、勝ったと日本政府は言い続けたが、実際はウソだった」と山田さん。瀬戸内さんも「政府の発表は疑わないといけない。いざとなったら神風が吹くと教えられたのだから」。
 昨年5月、背骨の圧迫骨折で入院し、4カ月後に胆嚢(たんのう)がんの手術を受けた瀬戸内さん。安保法案に抗議するため、国会前の集会でマイクを握ったのは今年6月だ。
 「大病をし、死ぬかと思った。だが、『戦争をするな』と言うために生かされたのではないか。このままでは大変なことになってしまう。じっとしていられなかった」と誰にも言わずに1人で集会に向かったという。
 一方の山田さんは、長崎原爆に向き合った新作「母と暮せば」の撮影が終わったばかり。「亡くなった一人ひとりに悲劇がある。亡くなった人を数字だけで語るのはおかしいし、犯罪的だ。本当の意味での悲劇性は消えてしまう」と語気を強めた。
 戦後70年の今年。山田さんは言った。「吉永小百合さんが『戦後という言葉がいつまでも続いてほしい』と言っていましたが、同じ思い。70年前の戦争がどんな悲惨な戦争だったかは未来永劫(えいごう)忘れてはいけない。あの戦争を語り継がないといけないのです」。瀬戸内さんも「いい戦争はない。戦争はすべて人殺し。人間には嫌なことを忘れる性格があるが、忘れていいことと忘れてはいけないことがある。戦争は忘れてはいけない」と語った。

http://digital.asahi.com/sp/articles/DA3S11946898.html

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